2013-06-30

JICA WORLD REPORTER #17

JICAワールドレポーター更新。
冠婚葬祭(結婚式編)

公式が未だ技術的問題で更新されないためこちらに転載。
公式の一記事3枚までという写真制限もないので、こちらの方が写真が多め(笑)

冠婚葬祭(結婚式編)



こちらで知り合ったイギリス人カップルの結婚式に参加。場所は、ここドミニカより少し南にあるセント ビンセントという国にある小さな離島ベクエ。


結婚式は朝9時からベクエの丘の上にある小さな教会で行われた。その後はチャーターしたカタマラン(2つの船を平行においてデッキで繋いだ船)に全員で乗り込み、二人がどうしても招待客みんなに見せたかったという絶景のトバゴ ケーズ(同じくセント ビンセントにある離島群)に1時間半かけて移動。




そこで錨を降ろし船上で軽食が振る舞われ、日本でいういわゆる披露宴、ケーキカット、スピーチやダンスが行われた。




数時間ここに滞在した後に、夕方ベクエに戻り、着替えなどのため一旦解散。その後、夜8時からレストランでディナーパーティーが催されるという、まさに一日がかりであった。


彼らとはここドミニカで知り合ったのだが、その時彼らは、二人とも仕事を一時休職し、自分たちに相応しい結婚式場(国)を探すのも兼ね、半年以上をかけて諸国を訪問しているところだった。

建築家とソーシャルワーカーだったと聞き、そんなに仕事の間を空けたら再就職大変じゃないかとまったく日本人らしい質問(笑)をぶつけてみたが、彼らはそんなこと一切心配していないようだった。自分たちはに手に職もあるし、彼らにとってはこうした長期休暇はそれほど珍しいことではないらしい。

もっとも感銘を受けたのが、ドミニカに滞在中に彼らはたんなる観光客としてリゾート気分で毎日を過ごすのではなく、地域のコミュニティにボランティアで参加したりと、地元民と積極的に交わる場を持ち、精力的に活動していたことである。何だか新しい次元の休暇中の海外での過ごし方というのを見た気がする。

結婚式をあげる教会や神父との交渉、チャーターする船の地元マリンショップとの交渉、夜のレストランでのディナーパーティーの交渉などは全て自分たちの手で行っている。チャーター船上で招待客に振る舞う食事などは買出しから調理まで家族総出で全て行ったそうだ。式があったその日一日、見知らぬ第三者(業者)が同行するようなことも一切ない。全てが二人とそしてその家族の手作りである。

ご祝儀の受付で始まり、タイムテーブルが細かく決まっていて、司会までいるブライダル業者が仕切っている出来合いパッケージ(最近はレストランウェディングみたいなのもあるがそれでも出来合い感は否めない)に慣れ親しんだ自分にとっては大変衝撃的であった。


家族関係を除いた招待客は30人ほどであろうか、彼らもこの日のために2,3週間程度の休暇を取って参加している。自分を含めた数人を除いては、両家の家族らも含めて全員で、ここにベクエに来る前に1週間ほどバルバドス(近くの島国)に滞在していたようだ。

自分はベクエで彼らと合流したのだが、そこで5日間ほど共に生活をした。とはいえ常に全員が一緒に居るわけではなく、滞在している家も違えば、日々の過ごし方も各自バラバラ。思い思いに自分の時間を過ごしている。日本人がやってしまいそうな各観光地を全員して巡回といったことはまずない。


二人が諸国を歴訪した上で最終的に結婚式の場として選んだのがここベクエであるが、その選択にあたっての条件は、当然、島の雰囲気や景観といったことに加えて、友人達の滞在先確保のし易さをあげていた。隣近所のように密接し過ぎてはいないが、歩いて行ける距離。これが彼らの求めた条件である。


安易に同じホテルにしてしまえば楽かもしれない。しかし、それでは自分達も招待された方もお互いに気を使い過ぎてしまう。せっかくの長期休暇をリラックス して過ごしてもらうためにもこの距離感に拘った、それがわざわざここまで結婚式に来てくれた招待客に対する彼らの感謝の気持ちのあらわれなのだろう。

2013-06-26

JICA WORLD REPORTER #16

JICAワールドレポーター、だいぶ前に投稿はしているのだが、技術的理由により未だ更新されず。
ようやくJICAワールドレポーター更新された。
冠婚葬祭(お葬式編)


こちらに掲載予定の記事を転載。そういえば、公式の方はいつかアクセス出来なくなるのだろうから、今後の投稿や既に掲載済みの記事もこちらに転載しとこうかな。

冠婚葬祭(お葬式編)


最近、立て続けに冠婚葬祭に出る機会があった。
まずは、お葬式から。

今住んでいる家の上階に住む大家のお婆さんが亡くなった。ここドミニカとマイアミに住む息子の所とを年に半部くらいずつ行ったり来たりしながら生活しているのだが、最近はドミニカに帰ってきていた。

声も大きく威勢の良いお婆さんで、前回マイアミに行く時に、今度いつ帰ってくるのかと聞くと、「そんなの分からない。私は自由だ。誰にも縛られない。」なんて言ってた。自分がデングにかかって家から出れなかった時にフルーツジュースを作って持ってきてくれたり、よそ者である自分のことを何かと気にかけてくれていた。

つい最近まで元気そうだったのだが、ある夜中に急に具合が悪くなって、近所の病院(彼女はそこで看護師として長年働いていた、自分の派遣先でもある)に運ばれそのまま入院。もっと近代的な医療をということで容態が安定してからはマイアミに搬送されたがダメだったようだ。

お葬式は教会で行われ、100人以上が来たろうか、彼女の人望の厚さが窺い知れる。遺族は彼女の生涯を綴ったパンフレットを手作りし全員に配っていた。何年にどこで生まれ、その後どう人生を辿ったかということが詳細に綴られているのだが、これをパンフレットにして配るというこの発想自体、凄い素敵だと思った。

式は、牧師の説教があったり全員で賛美歌を歌ったりと、通常の礼拝とそれほど変わらない印象だった。一時間半ほどたった式も終わり間近、募金の箱がまわってきたが強制ではない。入れる人もいれば入れない人も多い。このお金が遺族にいくのか教会にいくのかはわからないが、まず香典から始まる日本とは大きく異なる。

その式の後、教会裏手にある墓地には、すでに1メートルほどの深さで穴が掘ってあって、そこに棺のまま入れる。いわゆる土葬である。数人がスコップで埋めている間、みんなでまた歌を歌う。そして盛られた土の上を南国特有の大きく色鮮やかな花々で覆い尽くす。

不届きものの自分は、若き日に祖母の死に目にも葬儀にも立ち合えなかった。立ち合えなかったというよりもフラフラしていて家族でさえも連絡が取れないような生活をしてしまっていた。お婆ちゃん子であったにも関わらずその祖母の葬儀に参加しなかったことは、今も自分の中に後悔の念として消えてなくなることはない。

今回葬儀に参列して、この大家のお婆さんと自分の祖母とが重なってみえ、土葬の最中など息が苦しくてたまらないほどだった。自分の後悔の念も少しは和らいだろうか...
 
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