2013-12-27

JICA WORLD REPORTER #25

JICA ワールドレポーター更新予定記事
帰国


出国前日その1

最後にお世話になったチャイナタウン(中国人街ではなく、そういう名の中華料理屋)に挨拶。ここは自分だけでなく歴代隊員およびJICA関係者が非常に利用していたお店で、何かと融通を利かせてくれていた。外食出来るお店が非常に少ないここロゾー市内において、このお店の存在は、我ら隊員にとって非常に大きかったと思う。

出国前日その2

一番大変で苦手な作業が残っている。それは部屋の片付け。日本のそれと比べ比較的部屋も広く、2年も住んでいると当然に物も多くなるし、歴代隊員が帰る時に残していってくれた物もかなりある。しかも、昨夜のGoing Away Partyのせいで、床もベタベタ。片付けを始める前から早くも現実逃避したくなっているところに強力な助っ人が登場。やっぱ持つべきものは友である。

こびりついた台所の油汚れや洗面所の汚れ、嫌な顔一つせず綺麗にしてくれた。そしておまけに処分に困っていた大量の食材、服やバッグも全て引き取っていってくれた。本当に感謝である。


出国

さすがにカリブ海はなかなか簡単には返してくれなかった。当初予定はサンファン一泊で翌日にニューヨーク乗り換えで翌日羽田到着予定だった。しかし、問題はすでにサンファン到着で起きた。

ここドミニカにはSEABORNEとLIATの2社が乗り入れしている。最近のLIATの遅延問題(常に遅延傾向、その上、先日の任国外旅行では、ストが発生し3日も余計に滞在を強いられた)を避けるため、SEABORNEにしたのだが、それが却って裏目に出た。 同様にLIATを避ける客でチェックインカウンターは大混雑。そして今はクリスマスシーズン。米大学のドミニカキャンパスの学生が大量な荷物と共に帰国するのとちょうど重なってしまった。

SEABORNEの飛行機は1列に3席しかない非常に小さい機種。案の定、サンファンに着いたら預けたスーツケースとバックパックのうち、バックパックがロストしていた。

そして問題はそれだけでは終わらなかった。翌日、チェックインしようとしたら、今度はニューヨーク - 羽田の便がオーバーブッキングで席がないという。一悶着の上、ようやくマイアミで一泊すればダラスを経由して成田に帰れる便があるということで、マイアミに行きもう一泊。お陰で大雪のニューヨークの寒さを味わなくて済んだのは良かったことなのか...

そんなこんなで、予定より1日遅れの12月19日に無事(バッグパックは20日夜遅くにようやく)日本に到着。これにて本ブログは終了かな。2年弱にわたり読んで頂いた方々、ありがとうございました。

JICA WORLD REPORTER #24

JICA ワールドレポーター更新予定記事
Going Away Party


日頃プライベートでお世話になっている人達を招いてGoing Away Partyを行った。今ドミニカに居る日本人ボランティア5人全員が同日に帰国予定なので合同で主催した。場所は我が家。隊員の中では一番広いはずであるが、さすがに各自がお世話になった人達を招いたため家の外にまで人が溢れていた。


余談だが、こちらでは、こうしたパーティーは自分で主催することが多い。例えば、誕生パーティーであれば、日本だとほとんどの場合も祝ってもらえるわけだが、こちらでは自分でパーティーを企画してみんなに来てもらわなければならない。

今回のこのパーティーでも見送られる日本人ボランティアが主催となって、これまでお世話になった人達に来てもらって、ささやかであるが日本食などを振る舞って、お別れとともに今までの感謝を伝えようというものである。


当日顔を出してくれたのは約30名ほど。その国籍もアメリカ、カナダ、チリ、ドミニカ、イギリス、フランス、スペイン、ドミニカそして日本の計9カ国と非常にインターナショナルなパーティーとなった。名残惜しさを払拭するように、この日はみんな夜遅くまで、食べて、呑んで、踊っていった。

JICA WORLD REPORTER #23

JICA ワールドレポーター更新予定記事
表敬訪問


こちらでの仕事の最終日の朝に保健大臣の元に表敬訪問に行ってきた。もっともこの予定が決まったのも前日のクリスマス兼フェアウェルパーティーの最中の深夜。その上、調整員さんにも来て欲しいとの連絡を受けたのは当日の朝で面談の一時間前。何ともその計画性のなさに最後の最後までドミニカらしさを感じてしまった。


時間通りに行ってみれば大臣がくるまで一時間以上待たされ、そして大臣と簡単な面談だからと聞かされていたので、形式的に質問を受けて答えるだけだろうと思っていたら、テレビ局は来ているは、いきなりスピーチをさせられるはで、冷や汗タラタラ。全く準備していなかったので、たいしたことを話せなかった気がする。


最後に、感謝状と記念品を頂き、みんなで記念撮影をして終了。ちなみにこの日の模様はドミニカのオンラインニュースの記事になってますのでよかったらそちらもどうぞ。

Dominica News Online
MOH bids farewell to Japanese volunteer

DA Vibes
Ministry of Health bids farewell to Japanese volunteer

JICA WORLD REPORTER #22

JICA ワールドレポーター更新予定記事
Farewell Party


後数日で帰国のため、職場主催でクリスマスパーティー兼フェアウェルパーティーを開いてくれた。場所は上司の自宅。ここでクリスマスパーティーを行うのは今年で3回目であるが、毎年この大豪邸の凄さには驚かされる。こんなところにもドミニカの貧富の差を感じずにはいられない。日頃からいる食事を作るお手伝いさんの他に、この日はバーテンダーやジャズピアノの奏者などが雇われていた。




今回は、自分の他にチリボランティア4人も年内帰国予定なので合同で行われた。クリスマスパーティーも兼ねているため歌詞カードが配られ、生演奏をバックに全員でクリスマスソングを歌う。


おそらく最後となる地元料理のクレオール。とはいえ、ここのクレオール料理は別格。ホテル等の高級レストランを遥かに凌ぐ。



着任当初、ただでさえよく英語が聞き取れないのに加え、完全なマンパワーの案件なので、人とほとんど話さなくても仕事が完結できてしまうという業務内容に、同僚達と今後仲良くやっていけるのかという不安があった。しかし、そんな不安があったことさえ今では完全に忘れさせてくれている。本当に人に恵まれた環境で仕事ができていたことを痛感している。


2013-12-11

JICA WORLD REPORTER #21

JICA ワールドレポーター更新
WNT全セグメント制覇



以前にワイツクブリ・ナショナル・トレイル(Waitukubuli National Trail)について触れたが、それ以来、なかなか行く機会がなく、というよりはむしろ興味が他に移っていたせいもあり、未達成の2セグメントがずっと残ったままの状態になっていた。

しかし、帰国まで残り僅かとなれば、やはり何としてでも全セグメントを制覇しておきたい。もっとも全セグメント中、一番交通が不便で、トレイルも9時間と長時間な上に難易度も一番厳しいとされるセグメント8を残してしまっている。そのために、一緒に行ってくれる人がなかなか見つからない。

そんなことを周りに愚痴をこぼしていたら、これまで時々参加させてもらっていたローカルのハイクグループが、お前の最後だしということで、今月のハイクにこのセグメント8を設定してくれた。もっとも、このローカルハイクグループでも、このコースは長く厳しいため参加者に体力的な参加制限をかけないといけない、つまりハイクにいつも来てくれているような、余りハード過ぎず、ちょうど良い負荷のハイクが好きな人達が参加できなくなるので、通常は避けているそうだ。いつもであれば30人を超える参加者が、今回はたったの12人だった。みなさんには申し訳ない。

朝6:30集合、帰ってきたのは19:30だった(通常、夕方4時頃までには解散してる)。こんなに長い時間トレイルコースを歩いたのはこっちに来て初めての体験である。



そしてその翌日、これで最後となるセグメント7に行ってきた。疲労回復のため、本当は一週間くらい間を空けて行きたいところだが、もう帰国までに日がない。同じ週末に行くしかなかった。

セグメント全制覇を妨害するかのように天気はずっと土砂降り状態。ここドミニカでのトレイル中、これだけ大雨に降り続けられたのも初めての体験である。防水・防滴加工のウィンドブレーカーでさえもはや機能せず、絞れる状態。前日のハイクで足はかなりの筋肉痛だが、こちらのセグメントの難易度はモデレートのため、前日と比べれば全然楽勝、思っていたより早く完走した。



2年以上かかってしまったが、ワイツクブリ・ナショナル・トレイルの全セグメントをようやく制覇することができた。このワイツクブリ・ナショナル・トレイルのコースは右往左往しながら縦長のドミニカ島を縦断するように設定されている。そういう意味ではこの島を歩き切ったといえる。トレイルについては全く悔いを残すことなく帰国できそうだ。

 
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