2013-12-27

JICA WORLD REPORTER #25

JICA ワールドレポーター更新予定記事
帰国


出国前日その1

最後にお世話になったチャイナタウン(中国人街ではなく、そういう名の中華料理屋)に挨拶。ここは自分だけでなく歴代隊員およびJICA関係者が非常に利用していたお店で、何かと融通を利かせてくれていた。外食出来るお店が非常に少ないここロゾー市内において、このお店の存在は、我ら隊員にとって非常に大きかったと思う。

出国前日その2

一番大変で苦手な作業が残っている。それは部屋の片付け。日本のそれと比べ比較的部屋も広く、2年も住んでいると当然に物も多くなるし、歴代隊員が帰る時に残していってくれた物もかなりある。しかも、昨夜のGoing Away Partyのせいで、床もベタベタ。片付けを始める前から早くも現実逃避したくなっているところに強力な助っ人が登場。やっぱ持つべきものは友である。

こびりついた台所の油汚れや洗面所の汚れ、嫌な顔一つせず綺麗にしてくれた。そしておまけに処分に困っていた大量の食材、服やバッグも全て引き取っていってくれた。本当に感謝である。


出国

さすがにカリブ海はなかなか簡単には返してくれなかった。当初予定はサンファン一泊で翌日にニューヨーク乗り換えで翌日羽田到着予定だった。しかし、問題はすでにサンファン到着で起きた。

ここドミニカにはSEABORNEとLIATの2社が乗り入れしている。最近のLIATの遅延問題(常に遅延傾向、その上、先日の任国外旅行では、ストが発生し3日も余計に滞在を強いられた)を避けるため、SEABORNEにしたのだが、それが却って裏目に出た。 同様にLIATを避ける客でチェックインカウンターは大混雑。そして今はクリスマスシーズン。米大学のドミニカキャンパスの学生が大量な荷物と共に帰国するのとちょうど重なってしまった。

SEABORNEの飛行機は1列に3席しかない非常に小さい機種。案の定、サンファンに着いたら預けたスーツケースとバックパックのうち、バックパックがロストしていた。

そして問題はそれだけでは終わらなかった。翌日、チェックインしようとしたら、今度はニューヨーク - 羽田の便がオーバーブッキングで席がないという。一悶着の上、ようやくマイアミで一泊すればダラスを経由して成田に帰れる便があるということで、マイアミに行きもう一泊。お陰で大雪のニューヨークの寒さを味わなくて済んだのは良かったことなのか...

そんなこんなで、予定より1日遅れの12月19日に無事(バッグパックは20日夜遅くにようやく)日本に到着。これにて本ブログは終了かな。2年弱にわたり読んで頂いた方々、ありがとうございました。

JICA WORLD REPORTER #24

JICA ワールドレポーター更新予定記事
Going Away Party


日頃プライベートでお世話になっている人達を招いてGoing Away Partyを行った。今ドミニカに居る日本人ボランティア5人全員が同日に帰国予定なので合同で主催した。場所は我が家。隊員の中では一番広いはずであるが、さすがに各自がお世話になった人達を招いたため家の外にまで人が溢れていた。


余談だが、こちらでは、こうしたパーティーは自分で主催することが多い。例えば、誕生パーティーであれば、日本だとほとんどの場合も祝ってもらえるわけだが、こちらでは自分でパーティーを企画してみんなに来てもらわなければならない。

今回のこのパーティーでも見送られる日本人ボランティアが主催となって、これまでお世話になった人達に来てもらって、ささやかであるが日本食などを振る舞って、お別れとともに今までの感謝を伝えようというものである。


当日顔を出してくれたのは約30名ほど。その国籍もアメリカ、カナダ、チリ、ドミニカ、イギリス、フランス、スペイン、ドミニカそして日本の計9カ国と非常にインターナショナルなパーティーとなった。名残惜しさを払拭するように、この日はみんな夜遅くまで、食べて、呑んで、踊っていった。

JICA WORLD REPORTER #23

JICA ワールドレポーター更新予定記事
表敬訪問


こちらでの仕事の最終日の朝に保健大臣の元に表敬訪問に行ってきた。もっともこの予定が決まったのも前日のクリスマス兼フェアウェルパーティーの最中の深夜。その上、調整員さんにも来て欲しいとの連絡を受けたのは当日の朝で面談の一時間前。何ともその計画性のなさに最後の最後までドミニカらしさを感じてしまった。


時間通りに行ってみれば大臣がくるまで一時間以上待たされ、そして大臣と簡単な面談だからと聞かされていたので、形式的に質問を受けて答えるだけだろうと思っていたら、テレビ局は来ているは、いきなりスピーチをさせられるはで、冷や汗タラタラ。全く準備していなかったので、たいしたことを話せなかった気がする。


最後に、感謝状と記念品を頂き、みんなで記念撮影をして終了。ちなみにこの日の模様はドミニカのオンラインニュースの記事になってますのでよかったらそちらもどうぞ。

Dominica News Online
MOH bids farewell to Japanese volunteer

DA Vibes
Ministry of Health bids farewell to Japanese volunteer

JICA WORLD REPORTER #22

JICA ワールドレポーター更新予定記事
Farewell Party


後数日で帰国のため、職場主催でクリスマスパーティー兼フェアウェルパーティーを開いてくれた。場所は上司の自宅。ここでクリスマスパーティーを行うのは今年で3回目であるが、毎年この大豪邸の凄さには驚かされる。こんなところにもドミニカの貧富の差を感じずにはいられない。日頃からいる食事を作るお手伝いさんの他に、この日はバーテンダーやジャズピアノの奏者などが雇われていた。




今回は、自分の他にチリボランティア4人も年内帰国予定なので合同で行われた。クリスマスパーティーも兼ねているため歌詞カードが配られ、生演奏をバックに全員でクリスマスソングを歌う。


おそらく最後となる地元料理のクレオール。とはいえ、ここのクレオール料理は別格。ホテル等の高級レストランを遥かに凌ぐ。



着任当初、ただでさえよく英語が聞き取れないのに加え、完全なマンパワーの案件なので、人とほとんど話さなくても仕事が完結できてしまうという業務内容に、同僚達と今後仲良くやっていけるのかという不安があった。しかし、そんな不安があったことさえ今では完全に忘れさせてくれている。本当に人に恵まれた環境で仕事ができていたことを痛感している。


2013-12-11

JICA WORLD REPORTER #21

JICA ワールドレポーター更新
WNT全セグメント制覇



以前にワイツクブリ・ナショナル・トレイル(Waitukubuli National Trail)について触れたが、それ以来、なかなか行く機会がなく、というよりはむしろ興味が他に移っていたせいもあり、未達成の2セグメントがずっと残ったままの状態になっていた。

しかし、帰国まで残り僅かとなれば、やはり何としてでも全セグメントを制覇しておきたい。もっとも全セグメント中、一番交通が不便で、トレイルも9時間と長時間な上に難易度も一番厳しいとされるセグメント8を残してしまっている。そのために、一緒に行ってくれる人がなかなか見つからない。

そんなことを周りに愚痴をこぼしていたら、これまで時々参加させてもらっていたローカルのハイクグループが、お前の最後だしということで、今月のハイクにこのセグメント8を設定してくれた。もっとも、このローカルハイクグループでも、このコースは長く厳しいため参加者に体力的な参加制限をかけないといけない、つまりハイクにいつも来てくれているような、余りハード過ぎず、ちょうど良い負荷のハイクが好きな人達が参加できなくなるので、通常は避けているそうだ。いつもであれば30人を超える参加者が、今回はたったの12人だった。みなさんには申し訳ない。

朝6:30集合、帰ってきたのは19:30だった(通常、夕方4時頃までには解散してる)。こんなに長い時間トレイルコースを歩いたのはこっちに来て初めての体験である。



そしてその翌日、これで最後となるセグメント7に行ってきた。疲労回復のため、本当は一週間くらい間を空けて行きたいところだが、もう帰国までに日がない。同じ週末に行くしかなかった。

セグメント全制覇を妨害するかのように天気はずっと土砂降り状態。ここドミニカでのトレイル中、これだけ大雨に降り続けられたのも初めての体験である。防水・防滴加工のウィンドブレーカーでさえもはや機能せず、絞れる状態。前日のハイクで足はかなりの筋肉痛だが、こちらのセグメントの難易度はモデレートのため、前日と比べれば全然楽勝、思っていたより早く完走した。



2年以上かかってしまったが、ワイツクブリ・ナショナル・トレイルの全セグメントをようやく制覇することができた。このワイツクブリ・ナショナル・トレイルのコースは右往左往しながら縦長のドミニカ島を縦断するように設定されている。そういう意味ではこの島を歩き切ったといえる。トレイルについては全く悔いを残すことなく帰国できそうだ。

2013-11-29

JICA WORLD REPORTER #20

JICAワールドレポーター更新。
最終発表



先日、最終発表が行われた。場所はロゾー市内のホテルの会議室。

これまで何度も最終発表を見てきたが、今回のように同時に5人もが発表を行うケースは初めて(5人同時に帰国するため)。そのせいか、聴衆席はいつになく超満員だった。逆に、メディアは少なめでテレビ1社、オンラインニュースサイト1社といったところだろうか。

心配していたというよりは想定内といった方が適切ではあるが開始は30分遅れ、各自の持ち時間は、隊員が10分、その上司が5分となっていたが、自分も含め多くの人がオーバーしたため、終了は予定よりも一時間以上遅くなったが、それも、ここドミニカでは予定通りといったところだろうか。

そして当然のことだが自分にとってこれが初めての最終発表であるだけでなく、会場を使ったちゃんとしたプレゼンをすること自体も、ドミニカに来て以来初めての経験である。現在の活動の業務柄、会議等でスライドを用いた説明を求められることは多々あっても、本格的なプレゼンをする機会は皆無であった。

活動自体も最後の大詰めで追い込まれてる中、プレゼン資料作りや話す内容を考えたりするのは正直なところ結構厳しいものがあった(もっと前からちゃんと準備しておけば良かっただけなのだが)。

面白かったのは、各隊員が行ったプレゼンの様子が、三者三様ならぬ五者五様であったことだろう。誰1人として似ている感じが全くしない。活動内容が違うから内容自体は異なるのは当然として、スライドそのものの作り方であったり、話し方であったり、導入部の惹き付け方だったり、主たる活動以外に取り上げるトピックであったりが全く異なっていて、見ていてこういう方法もあるのかと非常にためになった。



実際には帰国まで、すでに3週間を切っているのだが、まだまだ先のことのように感じていた。しかし、この最終発表が終わった途端、急に帰国が迫っていることに実感が湧いた。

まだ活動上やるべきことも残ってる。最後に行っておきたい場所もある。ワイツクブリ・ナショナル・トレイルも全セグメント制覇したい(以前の投稿参照)。

そして、そろそろ身の周りの整理も始めないと...

最後の最後は、少しゆっくりさせて欲しいというのが本音だが、そうさせてはくれなさそうだ。

ドミニカのオンラインニュース DAVibes に掲載された記事はこちらから。

2013-11-12

JICA WORLD REPORTER #19

JICAワールドレポーター更新。
多国籍軍




 所属部署のヘルス・インフォメーション・ユニット(通称HIU)は、現在15人で構成されている。今は、自分がここに来て以来最大の人数である。そして、15人の構成員のうちボランティアが8名を占めるという、業務の多くをボランティアに依存している。

ボランティアの国籍も、アメリカ、オーストラリア、チリ、地元ドミニカ、そして日本と様々である。今はいないが以前はカナダも入っていた。

また、かなりの頻度で世界銀行やカリブ共同体(CARICOM)から数名がやってきては数週間滞在しプロジェクトを一緒に進めている。

そしてこの部署のもう一つの特徴は、そのメンバーの出張の多さである。
最近、任国外旅行から帰ってきて久しぶりに出社してみれば、1/3が出張中だった。その行き先もバラバラでメキシコ、ブラジル、アメリカ、セントキッツ・ネイビス、セントルシアとのことだった。

そんな環境なので、全員が揃うことはまずない。この写真は、こちらに来て(もう2年半以上も経つが)初で唯一の貴重な集合写真である。

こう見えてもここドミニカではこれが正装で、このチェック柄はクレオールチェックと呼ばれている。クレオール・デーやインディペンデンス・デーといった公式行事の日には、多くの人がこの正装をする。これらの日については以前の記事を参照。



踊りは地元の伝統的なダンスだそうだが、それより、この施設と後ろの機材に注目して欲しい。最近出来たピカピカのこの施設は、ホワイトハウスさながらシチュエーションルーム(状況分析室)と呼ばれ、会議の他にもプレゼンテーションやカンファレンスなど多目的に利用されている。この施設もここHIUの所有物である。テレビ会議システムが備わっており、壁には3台の大型ディスプレイが掛けられていて、同時に世界中の3ヶ所と会議を進めることができる。その他ステージと可動式の大型スクリーン、音響設備、小規模会議用の小型のスクリーンとプロジェクターが常設されている。

現在進めているプロジェクトも最新のオープンソースで行っているし、ほとんどのスタッフが最新のノートパソコンを使用し、最新のハイスペック・サーバーでは、その上に現在10数個のバーチャル・サーバーが稼働している(つまりそれが可能なほどのスペックを持つサーバーを所有している)。現在、準備中であるが近く、このサーバーをもう一台、障害対策のため物理的に隔離した場所に設置し(ロゾーとポーツマス)、それらをクラスタリングする予定である。

発展途上国とはいえ、既にこのレベルである。正直な所、同規模の日本の中小零細企業の方が設備面で劣っている気もしなくはない。そんな環境でボランティアしているのは複雑な心境でもある。


とはいえ、各国援助等で機材等のハード面は充実していても、やはりソフト面は発展途上国である。ソースコードは、全くバージョン管理されていないは、単にデータエントリーするだけのスタッフが、国の重要な(であるはずの)保健統計データをいとも簡単に、まるで自分の作成したワードやエクセルファイルであるかのように、ファイル上書きできるような状況にあるはで、こちらがハラハラして見ていられないシーンも数多く遭遇している。

任期終了まであと1ヶ月 ほど。直近で渡されたタスクもまだ終わりそうにないが、こうしたソフト面・環境面での改善提案も最後にいくつかしたいものが残っている。さてと、ラストスパートしようか...

2013-07-15

JICA WORLD REPORTER #18

JICAワールドレポーター更新。
引越と盗難
 
公式が1週間以上ダウンしてるという信じられない状況のためこちらにのみアップ。

引越と盗難



先日、事務所が引越になった。引越といっても同じ病院の敷地内での移動ではあるが。

引越の話は、自分が2年前の4月にここに配属された時から既にあがっていて、その当時はその年の6月頃には引越になると聞かされていた。実に2年あまりの遅れの上、ようやく引越になった。いかにもドミニカらしい(笑)


新しい事務所の建物は旧精神科の建物だったところで、いつだかのハリケーンで被害を受けて、使えなくなっていたのを病院の大工が長い年月をかけてようやく使えるまでに復旧させたものである。話は逸れるが、ここドミニカでは病院に勤務する専属の大工というのが数名居て、外注ではなく彼らが病院内の道路や設備や内装や、ある時は建物自体までもを作っている。

この建物は、1階はまだハリケーン被害を受けたままという感じであるが、我々が引越した2階はだいぶ綺麗になっている(写真の時点ではまだ床が張られていないが現在は綺麗になっている)。

そんな新しい事務所に今回引越したのは所属するHIU(保健情報局)でもITに携わる自分も含めた3名だけである。そして驚くことに、全員にそれぞれ個室が与えられた。日本でもこんな環境で働いたことはない。部屋は4畳半ほどの広さで新品の大きなデスクと椅子、それに来客用の椅子が2つほどあるだけで今のところは他に何もないが、もうじきキャビネットも来るという。当然、自分専用のエアコンも完備されている。



ただ正直な感想はこんなの要らないのですけど...という感じでもある。ただでさえ職種柄、余り人と話す機会に恵まれていない上に、これでは、完全に引きこもりになりそうである。



そして、引越してまだ2日しか経っていないのに事件は発生した。引越の翌日はトロピカル・ストームが近くを通過するのでJICAの判断で自分は休み。そのまた翌日に出社して、いざデスクトップのPCにスイッチを入れようと思ったら、あれモニターがない。昨日自分は休みだったから、もしかしたらその間に同僚が使ったのかななどと呑気に思っていたら、隣の部屋からもモニターがないという叫び声が。隣に行くと、高窓が開けられたままになっているし、何だか荒らされたような痕跡もある。自分の部屋に戻ってみるとマウスもなくなっていることに気づく。



カウンターパートは前日最後に帰る際に全部戸締まりを確認して帰ったらしいが、どうやら高窓から入られてしまったのかもしれない。 自分は普段メインで使っているラップトップはいつも持ち帰るようにしているので、職場には日本語の書籍や筆記用具以外にほとんど物を置いていない。とはいえ、デスクトップマシンを持ち歩くわけにはいかないので当然置いてあるわけだが、なぜかこれは持って行かれなかった。古くて重いからだろうか。それに比べて盗られたモニターはまだまだ新しく画面サイズも大きな比較的良いものである。盗る側も良く分かってらっしゃる。

被害はどうやら自分と隣の部屋の同僚のモニター計2台と自分のマウスだけのようだ。これだけで済んだのは不幸中の幸いである。

2013-06-30

JICA WORLD REPORTER #17

JICAワールドレポーター更新。
冠婚葬祭(結婚式編)

公式が未だ技術的問題で更新されないためこちらに転載。
公式の一記事3枚までという写真制限もないので、こちらの方が写真が多め(笑)

冠婚葬祭(結婚式編)



こちらで知り合ったイギリス人カップルの結婚式に参加。場所は、ここドミニカより少し南にあるセント ビンセントという国にある小さな離島ベクエ。


結婚式は朝9時からベクエの丘の上にある小さな教会で行われた。その後はチャーターしたカタマラン(2つの船を平行においてデッキで繋いだ船)に全員で乗り込み、二人がどうしても招待客みんなに見せたかったという絶景のトバゴ ケーズ(同じくセント ビンセントにある離島群)に1時間半かけて移動。




そこで錨を降ろし船上で軽食が振る舞われ、日本でいういわゆる披露宴、ケーキカット、スピーチやダンスが行われた。




数時間ここに滞在した後に、夕方ベクエに戻り、着替えなどのため一旦解散。その後、夜8時からレストランでディナーパーティーが催されるという、まさに一日がかりであった。


彼らとはここドミニカで知り合ったのだが、その時彼らは、二人とも仕事を一時休職し、自分たちに相応しい結婚式場(国)を探すのも兼ね、半年以上をかけて諸国を訪問しているところだった。

建築家とソーシャルワーカーだったと聞き、そんなに仕事の間を空けたら再就職大変じゃないかとまったく日本人らしい質問(笑)をぶつけてみたが、彼らはそんなこと一切心配していないようだった。自分たちはに手に職もあるし、彼らにとってはこうした長期休暇はそれほど珍しいことではないらしい。

もっとも感銘を受けたのが、ドミニカに滞在中に彼らはたんなる観光客としてリゾート気分で毎日を過ごすのではなく、地域のコミュニティにボランティアで参加したりと、地元民と積極的に交わる場を持ち、精力的に活動していたことである。何だか新しい次元の休暇中の海外での過ごし方というのを見た気がする。

結婚式をあげる教会や神父との交渉、チャーターする船の地元マリンショップとの交渉、夜のレストランでのディナーパーティーの交渉などは全て自分たちの手で行っている。チャーター船上で招待客に振る舞う食事などは買出しから調理まで家族総出で全て行ったそうだ。式があったその日一日、見知らぬ第三者(業者)が同行するようなことも一切ない。全てが二人とそしてその家族の手作りである。

ご祝儀の受付で始まり、タイムテーブルが細かく決まっていて、司会までいるブライダル業者が仕切っている出来合いパッケージ(最近はレストランウェディングみたいなのもあるがそれでも出来合い感は否めない)に慣れ親しんだ自分にとっては大変衝撃的であった。


家族関係を除いた招待客は30人ほどであろうか、彼らもこの日のために2,3週間程度の休暇を取って参加している。自分を含めた数人を除いては、両家の家族らも含めて全員で、ここにベクエに来る前に1週間ほどバルバドス(近くの島国)に滞在していたようだ。

自分はベクエで彼らと合流したのだが、そこで5日間ほど共に生活をした。とはいえ常に全員が一緒に居るわけではなく、滞在している家も違えば、日々の過ごし方も各自バラバラ。思い思いに自分の時間を過ごしている。日本人がやってしまいそうな各観光地を全員して巡回といったことはまずない。


二人が諸国を歴訪した上で最終的に結婚式の場として選んだのがここベクエであるが、その選択にあたっての条件は、当然、島の雰囲気や景観といったことに加えて、友人達の滞在先確保のし易さをあげていた。隣近所のように密接し過ぎてはいないが、歩いて行ける距離。これが彼らの求めた条件である。


安易に同じホテルにしてしまえば楽かもしれない。しかし、それでは自分達も招待された方もお互いに気を使い過ぎてしまう。せっかくの長期休暇をリラックス して過ごしてもらうためにもこの距離感に拘った、それがわざわざここまで結婚式に来てくれた招待客に対する彼らの感謝の気持ちのあらわれなのだろう。

2013-06-26

JICA WORLD REPORTER #16

JICAワールドレポーター、だいぶ前に投稿はしているのだが、技術的理由により未だ更新されず。
ようやくJICAワールドレポーター更新された。
冠婚葬祭(お葬式編)


こちらに掲載予定の記事を転載。そういえば、公式の方はいつかアクセス出来なくなるのだろうから、今後の投稿や既に掲載済みの記事もこちらに転載しとこうかな。

冠婚葬祭(お葬式編)


最近、立て続けに冠婚葬祭に出る機会があった。
まずは、お葬式から。

今住んでいる家の上階に住む大家のお婆さんが亡くなった。ここドミニカとマイアミに住む息子の所とを年に半部くらいずつ行ったり来たりしながら生活しているのだが、最近はドミニカに帰ってきていた。

声も大きく威勢の良いお婆さんで、前回マイアミに行く時に、今度いつ帰ってくるのかと聞くと、「そんなの分からない。私は自由だ。誰にも縛られない。」なんて言ってた。自分がデングにかかって家から出れなかった時にフルーツジュースを作って持ってきてくれたり、よそ者である自分のことを何かと気にかけてくれていた。

つい最近まで元気そうだったのだが、ある夜中に急に具合が悪くなって、近所の病院(彼女はそこで看護師として長年働いていた、自分の派遣先でもある)に運ばれそのまま入院。もっと近代的な医療をということで容態が安定してからはマイアミに搬送されたがダメだったようだ。

お葬式は教会で行われ、100人以上が来たろうか、彼女の人望の厚さが窺い知れる。遺族は彼女の生涯を綴ったパンフレットを手作りし全員に配っていた。何年にどこで生まれ、その後どう人生を辿ったかということが詳細に綴られているのだが、これをパンフレットにして配るというこの発想自体、凄い素敵だと思った。

式は、牧師の説教があったり全員で賛美歌を歌ったりと、通常の礼拝とそれほど変わらない印象だった。一時間半ほどたった式も終わり間近、募金の箱がまわってきたが強制ではない。入れる人もいれば入れない人も多い。このお金が遺族にいくのか教会にいくのかはわからないが、まず香典から始まる日本とは大きく異なる。

その式の後、教会裏手にある墓地には、すでに1メートルほどの深さで穴が掘ってあって、そこに棺のまま入れる。いわゆる土葬である。数人がスコップで埋めている間、みんなでまた歌を歌う。そして盛られた土の上を南国特有の大きく色鮮やかな花々で覆い尽くす。

不届きものの自分は、若き日に祖母の死に目にも葬儀にも立ち合えなかった。立ち合えなかったというよりもフラフラしていて家族でさえも連絡が取れないような生活をしてしまっていた。お婆ちゃん子であったにも関わらずその祖母の葬儀に参加しなかったことは、今も自分の中に後悔の念として消えてなくなることはない。

今回葬儀に参列して、この大家のお婆さんと自分の祖母とが重なってみえ、土葬の最中など息が苦しくてたまらないほどだった。自分の後悔の念も少しは和らいだろうか...

2013-04-26

JICA WORLD REPORTER #15

JICAワールドレポーター更新。
HIU EASTER FUN!!!



イースターの休暇を利用して所属する部局(Health Information Unit、通称HIU)でイベントが行われた。もうこちらに来て2年になるが、こうしたイベントが行われるのは初めて。イベントはシンジケートという地域にあるハイキング客用のウェルカムセンターをベースに、その施設の裏山にあるトレイルコースのハイクと施設周辺でバーベキューを行うというもの。

現地近くのガソリンスタンドに午後1時集合とのことだったが、結局全員揃って出発したのは3時。ドミニカンタイムである。

そういえば、こうした時間のいい加減さにこちらに来た当初はイライラしたものだった。日本の遅刻とは程度が違い過ぎるし、待たせられたあげくに来ないということも多々ある。しかしそんなことも2年も経てば慣れてくる。時間通りに揃うことなど全く期待していないからか精神的にも余裕があり、適当に近所を散策したりして時間を潰してる。


ハイクは全区間で整備されている。事前に楽なコースとは聞いていたが、普段行くハイクと比べると格段に短く緩い。ちょっと拍子抜け。むしろ熱帯雨林公園とか植物園を散歩しているような感じに近い。

この地域は、ドミニカ最高峰のディアブロティンという山がそびえ、ドミニカでもオウムがよく見れる地域と言われている。ドミニカには主にJacoと Sesserouという2種類のオウムがいる。Jacoは全体が緑色で首に赤いマフラーを付けている。そして、Sesserouは別名Imperialともいわれドミニカの国鳥であるとともに、国旗のデザインにも使われている胴体が紫色のオウムである。

幸いこの日にはJacoが数匹飛んでいるのを見ることができた。比較的、山には良く行くほうだが、残念ながらまだ一度もSesserouは見たことがない。


バーベキューのやり方は日本と若干違っている。日本の場合は焼きながら同時に食べたりするのが普通だが、こちらではとりあえず全部焼いてしまってトレーに盛り、その他沢山の持ち込みした食べ物も一緒に並べ、各自が皿を持って自分の好きな物を盛ってきて食べる、どちらかといえばビュッフェのようである。

なお、ドミニカのお店で食べるビュッフェは、ビュッフェとは名ばかりでお代わり自由じゃないので要注意。

2013-03-27

JICA WORLD REPORTER #14

JICAワールドレポーター更新。
任期延長と同期帰国




先月、任期延長の正式書類にサインした。当初、自分 <-> JICAドミニカ <-> JICA本部(日本) <-> 所属先 <->そしてまた自分と四者が関わっているせいか、情報が錯綜していて思いのほか手続きに時間を費やした。しかし、最終的には、無事に所属先の了解を得られ延長確定。延長期間は、9ヶ月間。帰国は本年12月中旬の予定。

そして先日、公式パスポートを更新するためにトリニダード・トバゴに行って来た。ドミニカには在外公館が置かれておらず在トリニダード・トバゴの大使館がドミニカ大使館を兼轄しているためである。といっても観光する時間などなく食事のみ。それでも韓国料理屋で二年以上ぶりにキムチとビビンバを食べれた(ドミニカには韓国料理屋もなければ日本料理屋もない)。


■延長理由
自分の仕事が遅いせいもあるかもしれないが、そもそも2年で終わる仕事量じゃない。ここ保健情報局(通称HIU)のIT担当者は3人しかおらず(うち自分も含めボランティア2人)、マンパワーに徹しているが完全に人手不足。その人数で今ある保健関連情報(パソコンで管理してるものだけに限らず、紙のカルテとかも)を全てWeb化して、ドミニカ中からアクセス出来るようにしようというのだから無理もない。ドミニカにおけるJICAの協力から「保健」分野が外れたことから、自分を最後に、後任は派遣されてこない現状、自分が残ってやるしかない。また、個人的にもこのまま中途半端な状況で作業を打ち切って帰国したらきっと後悔すると思った。目の前のできることをやるしかないか。

 
■同期帰国
そうこうしているうちに同期の帰国ラッシュが始まった。ちょうど今、世界中に散った同期が東京で再会しているようだ。そんな話を聞くたびに、あの時延長の決断をしていなかったら自分ももう今頃は日本に居るかと思うと、少し複雑な心境。まあ自分で決めた道だから...

何はともあれ同期のみなさま、2年間お疲れさまでした。

2013-02-20

JICA WORLD REPORTER #13

JICAワールドレポーター更新。
カーニバル



自分としては今年で2度目となるドミニカのカーニバル。前回は観客に徹したが、今年は他の隊員が所属するドミニカ障がい者協会(通称DAPD)がTシャツバンドで参加するというので混ぜてもらう。地元のドミニカ人や我々日本のボランティアの他に、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどのボランティアも加わり、とてもインターナショナルなバンドとなった。


ちなみにカーニバル期間中の主なイベントと内容。
  • ナショナル クイーンショウ
    いわゆるミスコン。今年のミスドミニカが決定する。去年のインディペンデンス(11月)の頃までには既に候補者が10名程度にまで絞られている。その後、水着、衣装、スピーチや特技の披露などを半年近くに亘って繰り広げられる女性の美と才能の戦い。
  • カリプソ決勝
    数十名の中から今年のカリプソ(音楽のジャンル)のキングが選ばれる。カーニバルが近づくにつれ毎週のように予選やトーナメントが繰り広げられる。
  • ジュベ
    カーニバル ホリデー初日の早朝(4時くらい)から行われる。カーニバルの前夜祭的な意味を持つ仮装パーティー。首都(タウン)を人々は思い思いのコスプレをして練り歩く。近隣カリブ諸国と違ってペンキを掛け合ったりというのは、ここドミニカではほとんど行われてない模様。
  • Tシャツバンド
    基本的には参加登録をしている各バンド単位でパレードを行う。バンド毎に共通のTシャツを身につけているのが特徴。
  • コスチューム パレード
    最終日に行われるカーニバルのメインイベント。こちらも参加登録しているバンド単位でパレードを行う。いわゆるカーニバルの衣装であったり山車が登場するのもこのパレード。
  • ジャンプ アップ
    Tシャツバンドの後やコスチュームパレードの後の夜に行われる。音楽を演奏する山車にくっついて踊りながら市内を巡回する。参加登録とかはなく自由に参加できる。 ジャンプアップ自体はそう珍しいものではなく、カーニバルに限らず事あるごとに各地で頻繁に行われている。 

今回参加して思ったのは、見ているだけだった去年に比べて、参加することは思った以上に楽しかった。阿波踊りの言葉ではあるが、まさに「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」である。もっともいくら首都ロゾー市内が狭いとはいえ、あの炎天下の中、自分は1周するのが限界。コスチュームパレードでは2周、中には3周する強者も見かけたが、とても真似出来ない。

話が変わるが、ここのところジャンプアップでは喧嘩や事件が絶えず、毎回、予定終了時間よりだいぶ早くに終わってしまうことが続いていたが、今回はどうだろうか。疲れて先にあがってしまったので良くわからないが、そんなに騒いでいないところをみると、今回は何もなく無事に終了したのだろう。

 
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